グラナート・テスタメント・シークエル
第10話「絶対神技〜三柱の支配者〜」




金色の右目を剔り取られたマルクトが、コクマに向かって倒れ込んでくる。
コクマは両手を広げて受け止めようとしたが、何を思ったのか、突然後方に跳躍した。
「おっと……」
コクマの衣装の左肩が切り裂かれ、鮮血が迸る。
「やれやれ、完全に摘出できませんでしたか?」
「……いいえ、コクマ様……これは私の意志です……」
マルクトの右手には、抜刀された天降剣『凛』が握られていた。
「なるほど……考えてみれば、ケテルさんごときの剣を私がかわせないわけがない……あなたの剣だからこそかわしきれなかった……」
コクマは切り裂かれた左肩を、右手でそっと押さえる。
「結局、こうなりますか」
コクマの左手の甲が水色に発光したかと思うと、次の瞬間には水色の半透明な剣が握られていた。
「もう油断はありません……トゥールフレイムの能力、遠慮なく使わせていただきます」
コクマは左肩から右手を離す。
「…………」
マルクトには、コクマの言葉の意味が解っていた。
トゥールフレイムを手にしたコクマには、不意打ちは一切通用しない。
先程、コクマの左肩を切り裂くことができたのは、トゥールフレイムを剣状ではなく、光炎として左手に纏い、マルクトの体を傷つけないように『心霊医術』のような能力を使っていたからだ。
その証拠に、マルクトの眼球をえぐり取られた右目は傷一つできておらず、血の一滴も流れてはいない。
本当にただ単に、物理的に、力ずくで、左手をあそこまで剔り込まれていたら、マルクトの右目、顔はとんでもないことになっていたに違いなかった。
心霊医術の能力に集中するために、トゥールフレイムは本来の能力である『未来予測』を行っていなかったのだろう。
だからこそ生じた隙、コクマ・ラツィエルらしくない油断が、彼に手傷を負わせたのだ。
マルクトの体を気遣ったがゆえに……。
「……らしくありません……コクマ様……なぜ、私などを気遣うのですか!?」
優しくされては困るのだ。
決意が揺らいでしまう。
憎まなければ、殺さなければいけない相手なのに……なぜ、こんなにも……心惹かれ……恋い焦がれてしまうのか……。
ああ、自分はなんて愚かで、卑しい女……穢れた天使なのだろう。
このままでは、決して許されない罪を犯してしまいそうだ。
半身である兄を、兄の無念を裏切り、この方を身も心も愛してしまうという……未来永劫決して許されぬ大罪を……。
こうして、心密かに想ってしまうことさえ、充分に罪、兄に対する裏切りだというのに、認めてしまったら、口に出してしまったら、その瞬間、自分は畜生にも劣る女になってしまうのだ。
「大した意味はありませんよ。ただ、ケテルさんごときのためにあなたを失うのは勿体ないと思っただけですよ」
「あっ……ぅっ……」
今の言葉に一瞬喜んでしまった自分が許せない。
ここは、先程から兄を『ごとき』呼ばわりされていることを怒るべきところだ。
「……あっ……こ……これ……以上……私を惑わせないでください……コクマ様……」
マルクトは、刀を正眼に構え直すと、心を落ち着けるように深呼吸する。
「……参ります」
マルクトは刀を握る両手と、眼差しを引き締めた。
「ええ、いつでもどこからでもどうぞ」
コクマは特に構えをとらず、無防備なままである。
「……はっ!」
マルクトは遠間から一歩で間合いを詰めると、迷わず刀を振り下ろした。



マルクトの剣に間合いは無用、無意味。
どれだけ距離があろうと、一瞬で、一歩で間合いを詰め斬りつけてくるのだ。
マルクトの刀は疾風。
爆発や雷のような威力や力強さはないが、どこまでも速く、鋭い。
その上、無駄も、牽制もなく、全てが急所を狙ってくる必殺の気勢を込めた一撃だった。
「疾風のごとき神速……ここまで速く鋭い太刀筋を持つ相手に出会ったのは、あなたで二人目ですよ、マルクトさん」
コクマは最小限の足捌きで、マルクトの猛攻をかわし続けている。
「おっと」
流石に、完璧にはかわしきれないのか、時折、水色の剣で受け流していた。
「くぅ……」
ここまで超接近した間合い、休むことなく繰り出される連撃の前には、未来予測は何の優位性も発揮しない。
一秒の間に、何百……何千という太刀が振るわれるのだ。
それも休むことなく振るわれ続けている以上……未来など視ている余裕は存在しない。
速さと連続性こそが、トゥールフレイムの未来予測を封じるもっと有効な手段だということをマルクトは誰よりも良く知っていた。
「なぜ……」
それなのに、なぜ、コクマに一太刀たりとも浴びせることができない?
以前、斬り合った時は、一撃を入れられなかったまでも、『押す(相手を後退させる)』ことはできたはずだ。
それなのに、前回と比べて、今回はかなり余裕をもって避けられ、受け流されている気がする。
天葬閃や七天抜刀を始めとする新技を編み出し、剣撃自体の速さ、鋭さも格段に上げたはずなのに……ここまで簡単に捌かれるなど、絶対にありえないことだった。
「確かに、あなたは、居合いや闘気剣の熟練度が格段に上がりましたね。一太刀一太刀の気勢や闘気の込め方……実に見事なものです」
「くっ……」
マルクトから余裕がなくなっていく。
猛攻を止めた瞬間、止まった瞬間、殺られる……そんな恐怖を彼女は感じ出していた。
「ですが、それでも当たらなければ意味はなく、神剣を切断するにはまだ力が足りない」
「ああっ!」
「もしあなたの刀が神剣だったら……私のトゥールフレイムと対等の硬度を持っていたら、少しは勝機があったかもしれませんね。流石に、あなたの太刀筋を全てかわすことはできませんので……」
つまり、コクマはこう言っているのである。
あなたの速さと技術でトゥールフレイムの防御をかいくぐることは不可能、武器破壊でもしない限り、自分を斬ることは絶対に不可能だ……と。
足捌き、体捌きだけでかわしきることこそ不可能だが、神剣で受けていいのなら、コクマにとってマルクトの猛攻を耐えきることなど造作無いことなのだ。
「まあ、最大の敗因はケテルさんですけどね」
「なっ……兄さんが?」
「ええ、少し狙いが粗いというか、甘いというか、不正確になっていますよ。いくらあなたが達人でも、瞬時に片目の感覚、特に距離感に慣れるのは不可能なようですね」
「ぐっ……」
確かに、コクマの指摘通りかもしれない。
片目になったせいで、視界の広さ自体変化しているのだ、微妙に狙いが甘くなっても無理もなかった。
「もう一つは、ケテルさんがあなたの神聖力を無駄遣いしたこと……これが決定的でしたね」
「あっ……」
「全開のあなたなら、神剣を切断は無理でも、力ずくで私の手から神剣を弾き飛ばすこともできたかもしれない。それに、神聖力を消費する技を織り交ぜて、攻撃に変化を持たせることもできたでしょうに……実に残念です」
「つぅぅ……」
コクマの指摘通り、マルクトにはもう天罰一つ撃つ余力も残っていない。
「そろそろ終わりにしますか……」
「……まだ……まだです!」
「……なっ、鞘?」
コクマが刀のつもりで、トゥールフレイムの背で受け止めたのは、白木の鞘だった。
予想外のことに、ほんの一瞬だけ、彼に隙が生まれる。
その隙を逃さずに、彼女は後方に飛び離れた。
「おや?」
その行動もまた、コクマには予想外である。
今の隙をついて斬りつけてこなかった理由が彼には理解できなかった。
あんな隙……チャンスは二度と与えるつもりはない。
マルクトは絶好の……最後のチャンスを逃したのだ。
「……なぜ、離れたのですか?」
コクマは追撃を行わず、マルクトに疑問を尋ねる。
マルクト程の達人が、あの隙に気づかないとは思えないし、隙をつかなかった理由もいくら考えても彼には解らなかった。
「……確かに、あの隙をつけば……あなたに手傷を負わせられたと思います……ですが、それは最初の不意打ちと同じ、すぐに癒せてしまう掠り傷程度のもの……」
「ほう……」
マルクトの読みは正しい、いくら刹那の隙を見せたとはいえ、致命傷を喰らう程自分は間抜けではない。
手傷を受けることは覚悟した上で、負うダメージを最小限で済むために反応したに違いなかった。
「ですが、その答えでは好機をわざと見逃す理由としては弱い。その理由に説得力を持たせるには……私に掠り傷を負わせる以上の利が、一度間合いを取ることになければならない。言っておきますが、一度間合いをとって休んでから再度攻撃を開始しても、今度は掠り傷一つ与える隙は見せませんよ」
コクマは絶対的な自信を持って言う。
「……そんなことは解っています……」
マルクトは右手に刀、左手に鞘を持ち、両手を鳥の翼のように大きく広げだした。
「この技を撃つための間を……稼ぎたかった……ただそれだけです……」
間とは間合い(距離)であり、時間。
大技や必殺技は放つには、気……気合いや闘気を高めたり、練り上げたり、爆発させるための間が必要不可欠なのだ。
なぜなら、超至近距離の間合いでそんなことをしようとすれば、技を放つ前に普通に斬られて終わってしまうからである。
「ああああああああああああああぁぁぁっ!」
マルクトの体から凄まじい量と勢いの白い光が溢れ出した。
白い光の量と激しさが際限なく高まっていく。
「馬鹿な、あなたにはもう天罰一つ撃つ力も……そうかっ! 私が抜き取ったのはあくまでケテル・メタトロンという意志(怨霊)だけ……」
トゥールフレイムで未来を予測するまでもなく、これから起こることが、マルクトが何をしようとしているのか、コクマには解った。
「アドナイ・ハ・アレッツ(神と主の王国)……」
白い光は膨張するようにどこまでも広がり続ける。
「メタトロン(神の貌)……サンダルフォン(救世主)……ネフェシュ・ハ・メシア(地上のための和解者の魂)……三柱の元に集え、アイシム(炎の魂)!」
「不純物(ケテル)を抜き取ったことで逆に、メタトロンとサンダルフォンの力が完全に統合され……」
「起動せよ、オラム・イェソドス(元素の天球)!」
「セフィロト(生命の樹)は、始まりもなく終わりもない。絶対神自身がマルクトでありケテルであり、初めであり終わりでもある……つまり、ケテル(メタトロン)でありマルクト(サンダルフォン)でもあるあなたは……略式ながら一人でセフィロトを完成できるということですか!?」
「トリニティー(三柱の)……」
振り下ろされた右手の刀から純粋で半透明なレモン色の閃光が、振り下ろされた左手の鞘からは隠された火で輝く小豆色の閃光が解き放たれた。
「ルーラー(支配者)!!!」
刀と鞘を手放し握り合わされた両手から、内側から輝く暗いオリーブ色の閃光が撃ちだされる。
オリーブ色の閃光は先行する二つの閃光に追いつき混ざり合い、絶対的で不可侵な黒の閃光と化し、世界を呑み尽くした。








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一言でいいので、良ければ感想お願いします。感想皆無だとこの調子で続けていいのか解らなくなりますので……。



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